23 Hour Party People.

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郵便的不安なう。

ここで言う郵便的不安というのは、ここ数日いつ来るんだろうと待っている荷物の事だったり、あのエントリーシートの返事は来るのだろうか、であり、先日お中元でゆうパックで運ばれてきたハムはちゃんと食べる事が出来るのか、という不安であって、決して80年代は不完全なポストモダンで90年代は完全なポストモダンだということを主張したいわけではないし、大声では言えないけど、件の本読んでいない。

そんな投瓶通信をやっているあいだに、おそらく数十年前に投瓶行為(火がついたほうの)をやっていた官房長官の発言がニュースになっていた。

柄谷行人浅 田彰も一人二役とかいって言論人は自己矛盾を抱えて発言するんだとか言ってたでしょう。それと同じでしょう。そもそもぼくは、ぼくの文章は読みた くないひとは読まなければいいと昔から言っている。超シンプル。そういう意味ではぼくのは、単純に瓶数が多いだけの投瓶通信。

そしてそれがまったく正しい。「投瓶通信」なんて思想用語ですらなく、数百人の批評空間マニアしか知らないサークル内言 語なんだから。アホか。

思想書って高いよね。文庫になったからいいようなものの。

“どうやら巷ではアヒル口女子が流行っているようだけど人工的にそれをやるのってどうよ?”ってくだけた論旨のニュースというかコラムのなかでも“ゼロ年代”という言葉が出てきて、なぜか申し訳なくなった。てっきり“ゼロ年代”って文科系のなかでしか流通していない言葉と思っていた。本当に、純粋にただアヒル口女子の情報が知りたい人がこれを読んで、なにこの言葉?と拒否反応を持った人もいるかもしれないけど、“純粋にただアヒル口女子の情報が知りたい人”と書くと、お友達になれるかどうか微妙なラインなので、やっぱり特に考えないようにする。

ちなみにうちの祖父の遺品に、仏教法話集や自作の小説に混じって、人相術の本があって、それによると人相学的には口角が上がっている人間は人気運が非常によく、誰からも寵愛されていい塩梅で人生を送れると書いてあるけれど、その本には、“お前らの思っている以上に正中線で人生決まるから、乙”とも書かれていた。

そういえばもう一個ゆうパックで魚の塩漬けが来ていた。勝てる気がしない(日光に)。

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